苦しみも悲しみも幾年月

あまりにも生きづらいので、なぜだろうと自分について考えてみる。

ようやく明るい兆しが

リウマチで寝込んでいることが多かったため、前回からずいぶん間が空いてしまった。
ブログを書かないでいる間に、同じ原因のトラウマでとても恥ずかしい思いをしたことが2回から3回になり、その後数ヶ月の間に、私は少しだけ変わることができた。

 
事の発端は、どれも誰にでもあるようなうっかりミスだった。 取り返しのつかないような深刻な失敗をしたわけでは無かった。
しかし私の心にとって、そのうっかりミスはとても重く感じられた。
私はミスを犯したときの状況に遡って、そのときはどんな状況であったか、そしてどうしてミスしてしまったかをくどくどと大切な人に釈明した。大切な人は「いいよ。」と許してくれたのだが、その言葉はなぜか私の耳を素通りした。ちゃんと聞こえてはいたのだが。

私はさらにくどくどと言い訳をした。大切な人は黙っていた。

何も言葉が返ってこなかったので、私は勝手に焦って自己弁護を始めた。
大切な人は、やはり黙ったままだった。

私はうろたえ、さらにしつこく、そのミスがいかに仕方ない状況により発生したかを必死になって説明した。
それでも大切な人は一言も発しなかった、

私はとうとう取り乱し、怒り、そして喋りまくりながら、「怒られる」と言ってしまった。
その瞬間、大切な人は静かに言った。

「誰に?」


私はハッとした。それから狼狽した。私の心情はいつものように全部顔に出ていたと思う。 
私は答えたくなかった。でも、大切な人は答えを待っていた。私が答えなければ、次の言葉を発してもらえそうになかった。
さんざんためらった後、私は小声で答えた。
「お母さんに。」

大切な人は静かに、しっかりと私に言った。「今は僕と暮らしているのだから、二人の間にお母さんのことは持ちこまなくていいよ。」と。


大切な人に出会う前、プライベートな時間は一人で過ごしていたときの私は、少しは楽な考え方をしようと思い、ミスしてもたいしたことでなければ、「いいじゃないか~」と思えるようになっていた。ところが、大切な人との間に信頼関係が生まれ、かけがえのない家族という感覚が私の中に出来上がったとたん、私はその家族との関係に母(家族)との関係を持ち込んでいたのだった。
しかも、大切な人が私の様子を見て、落ち着いて「誰に?」と聞いてくれなかったら、私自身は自分が何をしているのか気づかなかったと思うのだ。

もしも大切な人に出会わなければ、 私はミスしたときに自分に何が起きているのか気づかないまま、一生、ミスするたびに重大な大失敗だと感じ、自分を責め、相手に対しては言い訳しまくったことだろう。
もし違う人と出会っていて、その人が元夫のように相手の失敗を責めるタイプだったら、大喧嘩になっていたことだろう。
それは他人から見れば、「夫婦というのは、案外些細なことで喧嘩するよね。」というよくあることに映ったに違いない。

だが、そもそもの原因は息が詰まる思いで生きてきた子供の頃に形成された私のトラウマが刺激されたことによるものなのだ。 

「20歳過ぎたら(親のせいではなく)自分の責任」という言葉があり、一般的には当然のように思われているが、私はとんでもない間違いだと思う。
 トラウマによる過剰反応が無ければ、私は激しく自分を責めて、「私はなんてダメ人間なんだ。」と思いながら、自己防衛に必死になったあげく、もしも重箱の隅をつつくような相手だった場合には怒りに転じて大喧嘩などにならずに、素直に「ごめんね。次は気をつけるね。」だけで済んだかもしれないのだ。
私の今回のパターンに限らず、自分の抱えるトラウマに気づかずに、「これが自分である。」と思って暮らしている人は意外と多いのではなかろうか。


私は大切な人に出会えて、本当に良かった。大切な人は文字で書かれた文章より会話を重視するので、このブログは読んでいないはずだが、私は大切な人に深く感謝している。
同時に、自分のトラウマを子供の頃の原因まで遡るのはかなり辛い作業なのだが、現在の苦しみを無くしていきたいのなら原因を明らかにしないと、今現在の自分の考え方だけをどうこうしても無理だろうということを再確認できた。 



昨日、たまたま私はうっかりミスが一つと間が悪かったというのか、ツイていなかったというのか、そんな出来事がなんと8つ、わずか一日の間に合計9回も残念な出来事に見舞われてしまった。こんなに見事なのはさすがに人生初だった。
3つ目くらいからガックリとなってどんどん落ち込み、最後に大切な人に一連の出来事をLINEで送りながら、「こんなことは一つでも立ち直るのに数日かかるから、これはもう当分落ち込んで立ち直れないぞ。」 と思ったくらいだった。

でも、昨日は今までの私とは違っていた。いつもなら落ち込み、さらにこんなことが起きる自分の未来に対してまで悲観的になる性格の私が、なぜか自分で立ち直ろうと思ったのだ。
 大切な人はLINEを読んで、仕事から帰宅してすぐに私の話を聞いてくれた。私は詳しい事情を説明しながら、わりと明るい口調で話している自分に気づいた。しかも7個目の出来事については、「考えようによっては、これはラッキーだったかも。これがすんなりいっていたら、今頃疲れて寝込んで唸っていたと思う。」と、笑顔で話せた自分に少しビックリした。

そのビックリしたことについてまで話すと、大切な人は「そうだよね、いつもならそれだけでなく(ミス以外のことまで)全部、(ダメ人間の)自分が悪いって、自分を責めたよね。」と嬉しそうな感じで言ってくれた。
 


トラウマは原因が分かれば即解消というわけにはいかない。長い時間がかかるが、諦めたら、ずっと生きづらさを抱えたままの一生を送ることになる。
毛玉のように複雑に絡み合っている私のたくさんのトラウマが、前回の記事ぐらいからようやく少しずつほぐれだしてきたようで、とても嬉しい。


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だからなんとか変わっていかないと


今年は天候不順な時期がやたらに長く続くことが多かった。
私の母の子育ての方針の一つが、「子供の体調が悪いときに優しくすると甘えるようになり、わがままになるので、絶対に甘やかさない」だった。甘やかさない=普段どおりに接するという意味ならまだしも、私が熱を出して寝込んだりすると母はとても冷淡に私に接した。

そのため私は、さすがに熱が出たときは寝ているが、子供のころ発症したリウマチから来る気象病の症状のとき、「具合が悪いのは私の考えすぎだ。気力が足りないだけだ。具合が悪いような気がするときほど、がんばらないといけない。」というのが私にとってのスタンダードになっていた。 それはたぶん、母が「この子はがんばりが足りない」と考えていたから、私がそう反応するようになったものだ。

大切な人と暮らすようになって、私が気象病や関節痛で傍からみても明らかに具合が悪く見えるときに限って、ムキになって知人に頼まれたこととかLINEスタンプ作りに没頭し続ける姿は、大切な人をとても驚かせた。
母の子育ての方針を話すと大切な人はさらに驚いていたが、「具合が悪いときは休んでいいんだよ。」と言ってくれた。それでも私は、「ありがとう。でも大丈夫だから。」と言って、休まなかった。
そのような状態のときは何をしても著しく効率が下がるので、自分でも「本当に具合が悪いのではないか?」という思いもチラリとあり、また、このブログでも痛いだの動けないだの(どう考えていようと、またどうがんばっても動けくなるので)とさんざん書いている。それなのに私は、「私は怠けているだけだ」という罪悪感を捨てられなかった。

しかしある時、大切な人に「本当に具合が悪そうに見える。」と言われてから、少しずつ私の心はこの件に関してほぐれていき、今では体調が悪いときは素直に休むことができるようになった。
たぶん、疑問を感じながらも母の考え方にがんじがらめにされていた私の心が、大切な人の言葉によって「自分はきちんと認められている」と感じることで、やっと事実を認められるようになったのだと思う。


今年は我ながらキッとムキになってがんばらなければならない回数が格段に多くて大変だったが、大切な人のおかげで安心して休むことができるようになり、精神的にだいぶホッとしている。
かつて大切な人は、2人が出会ったころに私が行ったことに感謝していると言ってくれたが、私はそれよりずっとたくさん大切な人に救ってもらっている。感謝してもしきれない思いだが、大切な人の性格を考えると、これからもずっと二人でいろいろ積み重ねながら生きていくこと自体が一番だと思う。私も大切な人とお互いの存在を認め合い、受け入れ合い、大事にしていきたい。



というとすべてがだいぶ良い方向に向かっているように聞こえるかもしれないが、私の抱えるトラウマは悲しいほど多い。大切な人が「アラフィフになるまでそうやって生きてきたのだから、一生がかりになるだろう。」と言っていただけのことはある。本当にそれくらい時間がかかるだろうと自分でも思う。
それは自分でも思わぬときに、思わぬ形で噴出する。

ブログを書かないでいた間に、2回、同じトラウマで自分自身驚愕し、非常に恥ずかしい思いをした。
それについてはまたとても長くなるので、次回書こうと思う。


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孤独は人を差別しない


世の中には孤独に弱い人と強い人がいるようだ。
孤独に強いというのは、「一人でいる方が好き。友達もパートナーもいない方が気楽でいい。」という人たちだ。
といっても、今は一人がいいと思っていても年をとってくると人間はふと寂しさを感じることも多くなると思うので、孤独に強い人たちがずっとそのままかというと、そうとは限らない。

また仕事など、生きていく上で必要最低限の関わりを除き、プライベートで本当に他人と関わらずに一人で好きなように生きていたいという人は、かなり少数派なのではないかと思う。

というのも、一人がいいと言っている人たちの中には何かの理由でさんざんな思いをしてきて、「もう人との関わりなんてたくさんだ。」という人が多数含まれているような気がするからだ。どんなに寂しくても、人と関わるよりは一人でいる方が精神的に遥かにマシということだ。私自身はきわめて孤独に弱いのだが、この考え方に近い。

孤独が辛くて仕方ないのに、上の立場の人たちからはストレス解消のための人間サンドバッグにされ、同僚からは他人の不幸で自分の幸せを量ろうとされる。プライベートな友人たちもまた様々なストレスの中で生きているので、上辺はそうでなくても結局自分本位な考えが言動から透けて見える…、自身もまた凸凹を持つただの人であるだけに、 精神的に弱かったり不安定だったりといった要素のある人は、現代社会では病みやすいと思う。
地獄とはあの世にあるものではなく、この世のことだと私はずっと思ってきた。


私は今まで、自分の心の中で複雑に絡み合っている糸を必死になって解こうとしてきた。
しかし、母の本当の姿が見え始めてから、母もまた孤独地獄の中にいるのだと気づいた。

母が子供のころ、3人兄弟の真ん中でいつも自己主張し続けていたのは、長女である姉、長男である弟に祖母(母の母)の目がいってばかりで、自分の存在が認めてもらえなかったからだ。存在をたいして認めてもらえないというのは、愛されていないに等しい。
愛されないので、母は必死になって自己主張する。しかし、白と黒でグレーゾーンの無い性格の母の自己主張はかなり極端で、主張すればするほど、「○子はかわいくない。」と言われて差別され、さらに愛は遠ざかる。だからもっとがんばって自己主張する。おそらくこんな繰り返しで、極端な上に偏った母の性格が形成されていったのではないかと思う。

特に母の「なんでもがむしゃらにがんばる」、「自分が正しいと思ったら、全世界を敵に回しても貫き通す」、「やられたら10倍返し」、「相手より優位に立たないと気が済まない」、「相手を言葉でギャフンと言わせるのが利巧」といったポリシーは本人の性格と子供のころの家庭環境の結果にほかならないと思う。
愛されなかった母は、自分の孤独の上に棘だらけのコートを被って武装するようになり、優位に立つ喜びで孤独を紛らわせていったのだろう。

その棘も優位に立つ喜びも、一番弱い立場である実の娘には向けやすかったと思われる。
ほとんど無自覚だったから母は今でも自分自身について気づかない、あるいは薄々気づいていても、グレーゾーンが無いので長年の習慣から抜け出すことはできないのだろう。認めたら、自分は黒で悪になってしまうからだ。

人は社会的動物であり、大多数の人間はその本能的な習性から逃れられない。
人は人を差別化しようとするが、孤独は人を差別しない。

孤独はさまざまな形で人の心に闇をもたらす。

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